中村とうよう氏が亡くなったというニュースを聞いた。
氏は昭和44年(1969年)に発刊された「ニュー・ミュジック・マガジン」の編集長だった。
当時、おいさんはまだ高校生。
ちょうどウッドストックが終わり、ツェッペリンに代表されるブリティッシュ・ロッカーたちと、
ジャニスやジミ・ヘンドリクスなどのU.S.A巻き返し組がはげしいロック・バトルを繰り広げていた時代だった。
そんなときに発刊された「ニュー・ミュージック・マガジン」はロックを愛する人間にはバイブルだった。
朝妻一郎、福田一郎、亀淵昭信(現ニッポン放送社長・・カメさん出世したなぁ)、桜井ユタカ、日暮泰文などの各氏が評論を掲載。
中村氏も編集長ながら、評論をよせていた。
まだ無名のミュージシャンを紹介したり、けっこう辛口のレコード評論だったりと、当時では斬新な内容であった。
そんな記事を読んでは、レコードを買いにいったものだった。
とくに氏の記事は、日暮氏とともにブルースの記事が多く、初めてブルースに触れたのもこの頃だった。
このころのマガジンはまだ本棚に残っている。
ハード・ロックの衝撃にホコリを積んでいきながら・・・
合掌
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