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JAZZとROCKが 三度のめしより好きな おっさんの戯れ言

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ここに一枚のCDがある。

タイトルは「ソニー・ボーイ・ウィリアムソン・イン・ヨーロッパ」


サブ・タイトルとして、「ウィズ・エリック・クラプトン」とある。

そう、かの有名なエリック・クラプトン。

ライナーノーツをよく見てみると、1963年の12月7日と8日にロンドンのクロウダディ・クラブで録音されたとある。




そのときの面子は

ソニー・ボーイ・ウィリアムソン(ハープ・ボーカル)のバックが


エリック・クラプトン(リード・ギター)

クリス・ドレヤ(ギター)

ポール・サミュエル=スミス(ベース)

ジム・マッカーティ(ドラムス)


うーん、これはキース・レルフのいないヤードバーズじゃないか。


ヤードバーズとしての初録音らしい。

ソニーは、彼ら(ヤードバーズ)はへたくそなバンドだったと後述しているが、アマチュア同然の彼らとしては仕方がない。

なぜソニーが彼らをバックに演奏したかは定かでないが、クロウダディ・クラブが彼らのホームグラウンドだったからではないだろうか。

たまたま、そこにいたからか?ラッキー!

内容的にはソニーのボーカルとハープが目立つ(当たり前か)構成だ。

言われなければ、このギターがエリック・クラプトンだなんて誰も思うまい。

このジャケットもソニー一人だが、再発盤にはYardbirdsの名前と写真が。

後に有名になったから、はずすわけにはいかないってか。

まぁ、エリック・クラプトンの初録音ということで、コレクターズ・アイテムの一つかな。


ちなみに、この12月7日には「抱きしめたい」がリリースされた、ビートルズがBBCにテレビ出演している。
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人種の白黒をはっきりさせられるアメリカの社会で、白人でありながらブルースを愛する男。


ジョニー・ウィンター。


スティービー・レイ・ヴォーンがこの世を去ってしまったこともあり、白人ブルースではこの人の元気さに期待するしかない。

まぁおいさんは黒か白かはどっちでもいいことなんだけど。


そのジョニーが初めて日本で演奏するらしい。

4月にZEPP TOKYOでライブとのこと。

もちろん今の状況では見に行けるわけもない。(チケットもないだろうが・・・)

ラッキーにも見に行ける方は十分このブルースおやじ(いやもう66歳だぜ)のギターを堪能してきてほしい。



1981年のシカゴ・ブルース・フェスでのマディー・ウォーターズのステージで、ジョニーを見てから(もちビデオだよ)

もう30年か。

じゃぁCDでも聴いて我慢するとしようか。


 ライヴ/ジョニー・ウィンター・アンド


ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」、「火の玉ロック」、「ジョニー・B・グッド」などの

ロックン・ロールもいいけど、圧巻なのは「イッツ・マイ・オウン・フォールト」。


12分近いブルース・ナンバーだ。

マディーの前では借りてきた猫のようだったが、ここでは思う存分弾きまくるという表現があう。


ジョニー・ウィンターのグッドなアルバムの一つだ。

ロバート・ジョンソン。


悪魔と取引をしたブルース・ギタリスト。・・・なんて話がある。


ブルースの弾き語りで、アメリカ中をまわった。

みんなは凄いギターのテクニックに、「十字路で悪魔に魂を売り渡してテクを身につけた」なんて伝説が広まった。

これが彼の「クロスロード伝説」だ。


ミシシッピー州クラークスデールにあるクロスロード



どうもここがその取引の現場らしい。

交差点にいくと、「Cross Road Blues」が流れているのだろうか。

ちなみに日本じゃ「とうりゃんせ」なんだが、あっ、お呼びじゃないね!


そしてギターか女を抱くことが大好きだったことが災いして27歳で死んでしまった。

死因は女の亭主に毒殺とも、射殺されたとも・・・伝説のギタリストたる所以か。


早死にしたせいで、レコーディングした曲はわずか29曲。


 THE COMPLETE RECORDINGS


この2枚組みのCDに入りきる数だ。

おいさんとしては「Walkin’Blues」が好きだな。


29曲しか作らなかった割には多くのミュージシャンからカバーされている。

とくにエリック・クラプトンのハマりかたは、1枚アルバムを作っちゃうほどだ

彼はクリーム時代にも「クロスロード」を残している。


 ME and MR JOHNSON/ERIC CLAPTON

こんなことができるのは彼がイギリス人だからだろうか。

“白人”ブルース・ハープの第一人者「ポール・バターフィールド」。

この人がいなかったら、アメリカのロックはどうなっていたか分からなかっただろう。

1940年代はブルースなんてジャズとともに、黒人の音楽として白人からは忌み嫌われた存在であった。

シカゴに生まれ、シカゴ・ブルースにどっぷりとつかっていたポールはシカゴ大学へと進学した。

そこでマイク・ブルームフィールド(g)、エルビン・ビショップ(g)、マーク・ナフタリン(org)と出会いバンドを結成する。

当時白人がブルースを演奏すること自体イヤな顔をされたことに加え、ベース、ドラムといったリズム・セクションを

黒人のベテラン・プレーヤーで固めたことはすごく衝撃的なことだった。


 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド


1965年アメリカの音楽界、とくにフォーク・ソングが主流だったアメリカン・ロック・シーンに衝撃的な事件がおきる。


ニューポート・フォーク・フェスティバルでボブ・ディランがポール・バターフィ-ルド・ブルース・バンドをバックに演奏した。

フォーク・ギターをエレキに持ち替えたボブ・ディランには拍手とブーイングの嵐。

 ニューポート・フォーク・フェスのボブ・ディラン

賛否両論、すったもんだあったけどこのあと多くのロック・ミュージシャンがブルースに注目するようになる。(アメリカ限定のお話)


ポール・バターフィールド・ブルース・バンドの登場はひとつのベル・エポックだったのだ。


マイク・ブルームフィールドはこのあとアル・クーパーと歴史的アルバム「フィルモアの奇蹟」に参加する。



イギリスはといえば、人種差別なんてないから古くから多くのミュージシャンがブルースにハマッていた。

ビートルズをはじめ、ジョン・メイオール、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ・・・数え切れないくらいだ。


アメリカの人種差別では黒人音楽(JAZZ、ブルース、R&Bなど)が認知されるまで多くの時間と忍耐が必要だった。







エルモア・ジェイムス。


彼を聴くとフリートウッド・マックを思い出してしまう。

マックあたりからブルース聴き始めたもんで順序は逆なんだけどね。

ジェレミー・スペンサーが信奉していたが、多くのミュージシャンがうけた影響は計り知れない。


それにしても好きだったんだね。





彼らの初期のライブアルバム、A Night at THE MARQUEEではその信奉さがうかがえるプレイが聴ける。

エルモア・ジェイムスの曲も数曲カバーされているが、エルモアの有名なDUST MY BROOMを

DUST MY BLUESとしているのはどうしたんだろう。



おいさんが大好きなフリートウッド・マック。(初期のです)

すでにイギリスではブリティッシュ・ブルース・バンドとしての名声を得ていた。


1968年末にアメリカ遠征の話が出て、どうせアメリカ行くんなら向こうのミュージシャンと“いっちょうやってみっか。”と言ったかどうかは知らないが。

その彼らが憧れのシカゴ・ブルースの総本山チェス・レコードに殴り込みをかけた、黒人ブルース・プレーヤーたちとのジャム・セッションである。

バディ・ガイやオーティス・スパンなどが参加。

ピーター・グリーンのオリジナルもまじえてのブルース・ジャムだ。


物見遊山的な出来かと思ったが、なかなかどうして対等にわたりあったジャムは一聴の価値がありますぞ。

なぜか途中からジェレミー・スペンサーも加わっている。


このあとからフリートウッド・マックは大きく変わっていく。

「最初〔死んだ小エビのブルース〕を好きになったのは、Bで始まって、それからEになるからだったんだ。

あのキーの変わり方がいかにもエレクトリック音楽のルーツといった感じで・・・いかにもロバート・ジョンソンぽかったのさ。

彼はジャズの始祖でもあったんだよ。ジャズとブルースに通じるものがあった頃の、元祖・ジャズ・ミュージシャンだったんだよ。」

(ピーター・グリーン March 1998)


ザ・ロバート・ジョンソン・ソングブック



クスリによる極度の精神状態にあったピーター・グリーンは1996年フランクフルトで奇跡の復活をとげた。

その後、98年の「ロックンロールの殿堂」式典でフリートウッド・マックの創始者として殿堂入り。

カルロス・サンタナとの「ブラック・マジック・ウーマン」のジャムは全世界にオンエアされた。



廃人の一歩手前までいったピーターが復帰作の題材として選んだのがブルースの神様的存在のロバート・ジョンソン

ソング・ブックとあるように全曲がロバート・ジョンソンのカヴァーだ


フリートウッド・マック時代のレス・ポールを弾きまくるサウンドとは違ったアコースティック・サウンドを主軸にしたアルバムだ。


おいさんとしては、F・マックとしてやってたころのほうが、好きなんだけど・・・
The London Howlin’Wolf Sessions

1970年にハウリン・ウルフがヨーロッパ・ツアーした際に、ロンドンで録音された。

そしてこれを盛り上げん、とイギリスの大物アーティストがオリンピック・サウンド・スタジオに集結した。


まず、デレク&ザ・ドミノスを立ち上げたばかりのエリック・クラプトン

ブラインド・フェイスのあと、トラフィックに戻ったスティービー・ウィンウッド

ローリング・ストーンズからビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ

そして「アイ・エイント・スーパースティシャス」一曲だけだが、ドラムのRichieことリンゴ・スターが参加している。


ビッグなプレーヤーばかり。

豪華絢爛とはこういうことをさすのだろうか。


ブルースという音楽のもとに、大物ミュージシャンたちが尊敬の念を払いながら、

ハウリン・ウルフのパワフルなボーカルを、バックから支えていたのである。

マック

FLEETWOOD MACが、絶頂期のころの70年2月、アメリカのボストンにある
ライブハウス「ボストン・ティー・パーティー」でのライブ。

    <注>このライブ・ハウスの名は、世界史の「ボストン紅茶事件」に由来する。

サンタナのカバーで有名な、「ブラック・マジック・ウーマン」に始まり、
「ラトルスネイク・シェイク」では25分にわたり、ピーター・グリーンと
ダニー・コーワンのギター・バトルが展開される。

長年このライブ・テープは、ピーターの脱退によりお蔵入りされてたらしいが、
デジタル技術によりリトラックされ、クリアな音でふたたび日の目をみることになった。

このころのピーターは、すでにドラッグに病んでいたのか、「グリーン・マナリシ」では
悲愴感さえただよう。

Part1、Part2と2枚のアルバムはを、目をつぶって聞くと当時の雰囲気が伝わってくる。
そのときは、ちょっと酩酊状態がよろしいかと。(当時のプレーヤー、観客ともにマリファナに酔っていた)

このライブのあと、バンドの重圧にたえきれず、数週間でピーター・グリーンはMACを脱退する。
ドイツで飲んだLSDが粗悪なものだったことも大きな理由だ。

その後、ピーターは地獄におちてしまうが、97年、奇跡的なカムバックを遂げた。
(いつか、ピーターグリーンの話をしましょう)

FLEETWOOD MACはその後、ドラマーの、ミック・フリートウッドが中心となり、
メンバーを入れ替えポップ・グループに衣替え。(ブルースのブの字もないけど)

「噂」が世界的大ヒットになったのは、記憶に新しい。
画像1

TEXAS FLOOD/Stevie Ray Vaughan
おいさんの大好きな、ブルース・ギタリスト、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのデビュー作。

彼のギターは、0,13から0,60という異常に太い弦に張り替えられ、(ノーマルは0,09から0,42)ハイポジでも、野太いサウンドを聞かしてくれる。

ライブではいつも演奏される、このTEXAS FLOODは聴衆も盛り上がっているのが、よくわかる。

1990年にヘリコプターの事故で他界したのは残念だが、ジミ・ヘンドリックスとならび、惜しまれるギタリストの一人だ。

そういえば、おいさんも昔、学生のときバンドでこんな感じのブルースをやってたっけ。なつかしいなぁ(おいさんはドラムだった。)
!!!???

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