“白人”ブルース・ハープの第一人者「ポール・バターフィールド」。
この人がいなかったら、アメリカのロックはどうなっていたか分からなかっただろう。
1940年代はブルースなんてジャズとともに、黒人の音楽として白人からは忌み嫌われた存在であった。
シカゴに生まれ、シカゴ・ブルースにどっぷりとつかっていたポールはシカゴ大学へと進学した。
そこでマイク・ブルームフィールド(g)、エルビン・ビショップ(g)、マーク・ナフタリン(org)と出会いバンドを結成する。
当時白人がブルースを演奏すること自体イヤな顔をされたことに加え、ベース、ドラムといったリズム・セクションを
黒人のベテラン・プレーヤーで固めたことはすごく衝撃的なことだった。
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド1965年アメリカの音楽界、とくにフォーク・ソングが主流だったアメリカン・ロック・シーンに衝撃的な事件がおきる。
ニューポート・フォーク・フェスティバルでボブ・ディランがポール・バターフィ-ルド・ブルース・バンドをバックに演奏した。
フォーク・ギターをエレキに持ち替えたボブ・ディランには拍手とブーイングの嵐。
ニューポート・フォーク・フェスのボブ・ディラン賛否両論、すったもんだあったけどこのあと多くのロック・ミュージシャンがブルースに注目するようになる。(アメリカ限定のお話)
ポール・バターフィールド・ブルース・バンドの登場はひとつのベル・エポックだったのだ。
マイク・ブルームフィールドはこのあとアル・クーパーと歴史的アルバム「フィルモアの奇蹟」に参加する。
イギリスはといえば、人種差別なんてないから古くから多くのミュージシャンがブルースにハマッていた。
ビートルズをはじめ、ジョン・メイオール、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ・・・数え切れないくらいだ。
アメリカの人種差別では黒人音楽(JAZZ、ブルース、R&Bなど)が認知されるまで多くの時間と忍耐が必要だった。
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