中学生になったころ、オヤジがエレキ・ギターを買ってくれた。
グヤ・トーンというメーカーのギターだった。
家にあった大型ラジオを改造してアンプにした。
昔のラジオは入力回路がついていたので、シールドの先っちょをつなぐとラジオから大きな音がでた。
グォーン、テケテケテケテ、エレキ小僧の誕生だ。
当時は持ってるだけで「不良」のレッテルを貼られた、エレキ・ギター。
いろいろ言われるのはイヤだから勉強は手を抜かなかった。
中間テストや期末テストは得点と学年順位が発表される。
学年で10番以内を維持してたから、先生もエレキのことは言えなかった。
勉強よりも必死に聴いていたのはもちろん
ベンチャーズ。
ノーキー・エドワーズのようにうまく弾きたかったな。
スリ切れるくらい聴いたノック・ミー・アウトテケテケテケテケの毎日。
「パイプライン」「ダイヤモンド・ヘッド」「クルーエル・シー」なんか練習したね。
こうなるとバンドを作りたくなる。
小学生のころから合奏部に入ってたし、中学はブラバンだったから合奏することは大好きだった。
おなじくギターを買ってもらったカトウ君とバンドを作った。
彼のギターはモラレスというモズライトのベンチャーズ・モデルのコピーだ。
かっこよかったなぁ。
おなじブラバンでトランペットを吹いていた、ジュンとノダがドラムとベースで参加した。
毎週日曜日にはおいさんちの雨戸を閉め切ってバンドの練習だ。
さぞかし近所のひんしゅくを買っていたに違いない。
すぐ近所で葬式があった日にはさすがに中止した。(苦情がきたから)
あるスタジオでの練習風景一度だけ同級生のお父さんが経営するスタジオを借りて練習したことがあった。
大きなアンプとドラムセットでなんだかうまくなった気がした。
このバンドは中学3年を卒業するころ、とある養護学校で最初で最後の慰問ライブを行なった。
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