もう半世紀ちかくも昔のお話。
おいさんの通っていた小学校にはアンドー先生という非常に音楽に熱心な先生がおられ、合奏部をつくっておりました。
おいさんも1年生のときから合奏部に所属していたのであります。
ビゼーの「カルメン」や「アルルの女」、「ウイリアム・テル序曲」などをやってました。
毎年行なわれる音楽コンクールの優勝めざして毎日放課後練習していたのです。
いつも入賞どまりだったのですが、一度だけ九州大会に選ばれて福岡のRKB毎日ホールと言う場所で演奏したことがあります。
唯一のツァーです
1、2年生はまだハーモニカしかさせてもらえませんが、3年生くらいから他の楽器を担当するようになります。
おいさんはスネア・ドラムやシンバルなどパーカッション系でした。
ところが6年生になったときコントラバスに変更されました。本当はティンパニをやりたかったのですが・・・。
本来から練習嫌いだったし、コントラバスなんかやりたくなかったし、楽譜はへ音記号でかいてあるしで
まったく練習をしませんでした。
だから全体で練習するときはいつもぶっつけ本番。
最初の頃はよく音をはずしてへんな顔をされてました。
そのうちすこしづつ音が合うようになり、「おっ合ってる」なんて思えてきたのです。
音を拾いながらアドリブで演奏してたんですね。
★★懺悔タイム★★
練習をなまけてアドリブで演奏してたのはこのおいさんです。
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