CHICAGO・TRANSIT・AUTHORITYブラス・ロック・グループとしてデビューした
シカゴ。
当初は
シカゴ・トランシット・オーソリティーとしてデビューしたが、いつの間にか
シカゴと名乗るようになった。
新人バンドでありながら、いきなりの2枚組のアルバムにはおどろかされた。
2枚組アルバムのボリュームもさることながら、中身の濃い攻撃的なブラス・サウンドには圧倒された。
「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」
「クエスチョン67/68」
観念的な詩で聴くものに問いかける
「1968年8月29日シカゴ、民主党大会」
「流血の日」
政治的メッセージを詩に載せて問いかける
1971年初来日した。
おいさんが武道館で初めてライブをみたバンドだ。
当時一番のお気に入りで、毎日シカゴを聴いていたものだった。
あれから40年。
ギターの
テリー・キャスが死に、
ピーター・セテラも脱退した反アメリカ的バンドは、ラブ・バラード「
素直になれなくて」が大ヒットし、発売するアルバムはいつもヒット・チャートの上位にランク・インするポップ・グループとなった。
アメリカ政府主催のイベントには必ずといってよいほど顔を出すアメリカを代表する
よい子バンドになってしまった。
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