忍者ブログ
JAZZとROCKが 三度のめしより好きな おっさんの戯れ言

ぷろふぃーる
HN:
    おいさん
性別:
男性
職業:
    トラック・ドライバー
趣味:
    飲む・博打つ・聴く
画像の記事へGO!
ミュージシャン・リンク

 ジャズドラマー

小野麻衣子

気に入ったひとはポチッとお願い!

ほかのブログも見てみよう


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村


blogram投票ボタン

こっちもみてね
最珍記事
むかしの記事で出ています
あなたもフリーアンケーター

マクロミルへ登録

何か見つかるかも
最新コメント
[07/20 おいさん]
[04/05 CharlesPa]
[12/01 たろすけ大分]
[05/19 Backlinks]
[04/03 たろすけ大分]
[05/24 たかんぼ]
[09/23 たろすけ]
[09/08 Room Folklore]
[09/01 mina777]
[08/21 たろすけ大分]
うえるかむto忍者アド
カテゴリー
最新トラックバック
ばーこーど
何かお知らせ?
あーかいぶ
あし@
忍者アド
アクセス解析
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


TVのBSでイチローの全ヒット2244本を放映していた。

途中から見たのだが、「さすがイチロー!」って感じ。




ボテボテの内野ゴロをヒットにしたかと思えば、豪快なホームランもアリ。

また、外野がもたつけば2塁、3塁と獲ってしまう。

また、打撃シーンだけでなく矢のようなレーザー・ビームの返球で走者をタッチアウトにするシーンも

随所に登場して充分に楽しめる内容だった。


ここで、アメリカのスタジアムを見ていて思ったこと。


イチローとは関係ないが、苦言を呈する。


それはこれ。




この日本語の看板は何だ!


アメリカが生んだ、野球文化の殿堂に何で日本語なのだ!


金、出しゃいいってもんじゃねえだろう?

少しはその国の文化を尊重しろよ。

英語圏なんだからせめてYOMIURIと表記すべきだ。


読売新聞、いやナベツネには“ 謙虚 ”という文字はないらしい。



国技館に外国語の垂れ幕があるか!


むかし、パンナムの東京支配人が優勝力士に「ヒョーショージョー!アナタハ・・・」とやってたのを忘れたか。

大相撲の表彰式だから、たどたどしいけど日本語でしゃべったのだ。

日本の文化に敬意を表しているのだ。

まあ、自国の論理をふりかざし敬意もへったくれもない国もあるからなぁ。

しかも同じ漢字を使ってるっていうから始末にわるい。
PR
録音されてから50年近くも経つというのにいまだ輝きを放っているものの一つ。

ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」


1961年6月25日に録音されたライブを2枚に分けて発売したが、

第1集を「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」、

そして第2集を「ワルツ・フォー・デビー」として発売された。


 Waltz for Debby/ Bill Evans Trio

     Bill Evans   (p)

     Scott Lafaro (b)

     Paul Motian  (ds)



10日後にスコット・ラファロが自動車事故で死んだため、彼をフィーチャーした曲を中心に第1集が組まれた。

よって第2集にあたる、このアルバムが絶頂期のビル・エバンス・トリオ全体を正確に捉えられているといえる。

それまでは控えめなリズム・セクションであった、ベースとドラムがピアノと対等にプレイする。

特にスコット・ラファロの高音域のベース・ノートがビルのピアノと対峙し、ポール・モチアンのスティック・ワークも確立されたものがある。


注意深く聴いていると、音の切れ間に客のざわめき、笑い声、グラスの音などが聞こえてくる。

暗く、退廃的な環境の中で育ってきたJAZZの宿命みたいなものが垣間見えてうれしくなってしまった。

先日、不朽の迷作と紹介した、タモリの“ 戦後日本歌謡史 タモリ3 ”はYouTubeにて視聴できます。

 戦後日本歌謡史タモリ3


「戦後日本歌謡史タモリ3」と検索してください。

歌詞を掲載したサイトもございます。

映像とあわせてお楽しみください。


“ 尖閣流出ビデオ ”に辟易された方はお口直しにどうぞ!

菅癪直太(かんしゃく なおた)は大分のネオン街、都町をホテルのほうへ歩いていた。

先月、ライバルの小邪和(おじゃわ)を蹴落として日ノ本商事の社長になったばかりで気分は上々であった。

取引先の接待でクラブを2軒ほどハシゴした帰りだった。




突然、第1ビルの角で、声をかけられた。

   「社長サーン!」

さっきのクラブでもそう呼ばれ、いい気分になっていた菅癪は思わず「はーい!」と返事をしてしまった。

心のなかで“ しまった ”と思いつつ振りかえると菅癪好みの女性が。

「社長サーン、まっさーじイカガデスカ。」

「マッサージかぁ」

中高年の悲哀か、マッサージという言葉に癒しを感じてしまう。

「個室まっさーじ、トテモ、キモチイイアル。」

「えっ、じゃぁもしかしてナニでナニをナニしてくれるわけ?」

「ハイ、すぺしゃるナてくにっくアル」


そういうと、女は菅癪の腕にまとわりつくように歩き出した。

“ なぁに、仕事も終わったし、ちょっと旅のアカでも落としていくか。”

腕を引く女の力に体をあずけながら薄暗い路地を歩いていった。


30メーターほど歩くと女は薄暗く裸電球が灯るビル前でとまった。

ちいさな看板があった。

“ 個室マッサージ「尖閣」 ”

「せんかく・・・って?」

「私、ソコノ出身アル」

「そんな地名あったかなぁ?」

どこか聞き覚えのある地名を思い出しながら、背中を押されるように菅癪は階段を昇っていった。

2階の入り口を入る際、目つきの鋭い男とすれ違ったが菅癪はさほど気にしなかった。



ドアを開けると真ん中が通路になっていて、左右にドアが2つ、計4つの個室があった。

女は右手1番目のドアを開け、菅癪を招きいれた。

入るとソファとテーブルがあり、部屋の奥半分はカーテンで仕切られベッドが見えた。

「社長サン、がうんニキガエルアル」「フクハソコニカケルヨロシ」“うーん、あそこでヤルのかー”

そういうと女は出て行った。

菅癪は気持ちの昂ぶりを感じつつガウンに着替えた。



ベッドに横たわっているとノックがして女が入ってきた。

複数の足音が聞こえたような気がしたが、入ってきたのはスレンディーな女一人だった。

チャイナ服風の上着にショート・パンツといういでたち。

「デハ、まっさーじスルネ。ウツブセニナルヨロシ」

「はい、なったよろし」

オイルを手に取り、肩から背中、腕と塗りながらマッサージを始めた。

女の手の感触がここちよい。

次は足からふくらはぎ、太ももへと続く。暖かい蒸しタオルにつつまれるとやはり気持ちがいい。

“うらはいいから、早く表返してくんねえかなぁ”そう思ってると「オ客サン、ウエヲ、ムイテクダサイ」

“おっ、きた、きた。” くるりと天井のほうを向いた。

一連のマッサージを終え、タオルで蒸される。

“ヒッヒッヒ、さてといよいよかな”すると女は「チョット待ッテネ」といって部屋から出て行った。

“なんだろ、コンドームでも取りにいったのかなぁ”


「遅いなぁ」

菅癪は待ちきれずにパンツを脱いでしまった。

女が戻ってきた。入り口でなにかゴソゴソやっている。

「おーい、もう待ちきれないよーん」

女がカーテンを開け、スッポンポンの菅癪を見ると「キャッ、オ客サン、ナニスルアルカ!ココハまっさーじスルトコアルヨ」

「えっ、こいつをマッサージというか、ナニしてくれるんじゃないの?」

「ナニヲ、イッテイルアルカ」

「だって個室マッサージ“尖閣”って書いてあったじゃないか」

「せんかくノせんハ“せんずり”ノせんアル。 自分デ、カクカラ“センカク”アル。」

「あぁ、自分でせんずりかくから“せんかく”かぁ。はっはっは、うまいこというなあぁ。

おっと、そんな駄ジャレを言ってる場合じゃない!」

「どうしてくれるんだ、1万円も払ったんだぞ!」

「ダカラ、まっさーじキモチヨカッタカ。」

「まあ、それはそれでよかったけど・・・」

「ナラ、ソレデヨカッタアル」

なにげなくドアのほうをみると先ほどの目つきの鋭い男がドアの隙間からこちらの様子を伺っている。


“ヤバッ”

身の恐怖を感じて、菅癪はそれ以上言うことをあきらめた。


“一刻も早くこの店から出よう”急いで服を着ると、逃げるように階段を下りた。

ふりかえるとさきほどの電球は消えて、薄暗い通りの向こうに表通りの灯りが見えた。




それから忙しい毎日があの忌まわしい夜を忘れ去ろうとしていたある夜、帰宅すると女房の花子が

血相をかえて1枚の封筒を差し出した。


「あなた!何!これは!」

「何って?」

差出人は春暁クレジット会社となっていた。

「わっ!」

菅癪の身覚えのない大型テレビや高級カメラ、冷蔵庫、洗濯機、アクセサリーなどの請求だ。

“やられた!”

菅癪は思い出した。

あのとき、入り口でなにかゴソゴソやってたのは、おれのカードを盗んだのか。


“女房になんて言い訳しようか”

あの夜のことが走馬灯のように駆け巡り、頭の中は真っ白になりだんだん意識が遠のいていった。



(この物語はまったくのフィクションであり実在の政治家等とは関係ありません)


日本ではパロディーというものは、欧米ほどは認知されていないようだ。

ポスターや楽曲の一部にみられるが、ニヤッとする程度だ。


そのパロディーの精神に満ちあふれた、茶化しまくりの名作がこれ「タモリ3/戦後日本歌謡史」

彼の類まれなる才能を十二分に楽しめる作品だ。

 タモリ3/戦後日本歌謡史


表題のとおり、終戦からの歌謡曲をパロディーにしたものだ。


発売直後すぐに発禁となったまぼろしの迷作である。

この作品のすばらしい点は、曲を際どくパロっただけでなくそのときの世相、人物をもパロディー化したところにある。


当時レンタルレコードで借りてカセットにDLしておいたが、みんなに聞かせていたら、いつのまにか行方不明になってしまった。


聴いてみたくなるような曲目をご紹介。元唄がわかるだろうか?


【SIDE1】戦後日本歌謡史 昭和21年~38年

昭和21年/日本降伏文書調印式───マツカサ元帥

  M1:サンゴの唄(唄:波路道子)...................................昭和21年

昭和22年/素人のど自慢合戦風景

  M2:たそがれのオワイ航路(唄:不詳)

     割れた桶 臭う風
     オワイ出船の 肥の香うれし
     ああ たそがれの オワイ航路  (オワイ:糞尿、人糞のこと)

M3:入院ブギウギ(唄:赤置シズ子)...........................昭和22年

昭和26年/<うたごえ運動>に参加する労働者の声

M4:オチューシャ(唄:不詳)...............................昭和26年

M5:全国浪人予備校生の唄(唄:不詳).......................昭和27年

M6:おキュウ小僧(唄:愛田勝彦)...............................昭和26年

     おキュウ小僧は 暖ったかい
     男らしくて強情で
     燃えるモグサを背にしょって
     じっと我慢の絆創膏
     平気なようだね 火事のよう
     おお マイゴッド
     おおらかで大胆なおキュウ小僧

M7:おカミさん(唄:春日八幸)...................................昭和29年

私と歌謡曲───竹村勘一

M8:グラグラコンブ(唄:三橋美起也).......................昭和33年

昭和32年/上野駅で───集団就職で東京に勤めるある若者の声

M9:東京ホストクラブ(唄:トランク永井)...............昭和34年

昭和33年/映画「おいらを呼ぶドラマ」から

M10:おいらを呼ぶドラマ(唄:牛原寅次郎)

     テレビのドラマ やくざのドラマ
     ドラマが始まりゃ おいらを呼ぶぜ
     煉瓦がわりに テレビを叩きゃ
     ブラウン管も 吹っ飛ぶぜ

     この野郎 かかってこい
     最初は日テレだ ほれ、フジテレビ
     おっと!12チャンネルだ
     畜生! 回しやがったな!
     4だ 6だ 8だ 10だ
     えーい面倒だ!

M11:ユデタマ(唄:ミッキー山下)...........................昭和33年

昭和33年/ロカビリー喫茶楽屋───ミッキー山下の声

M12:パパは何でも知っている(唄:平野雅章).......昭和33年

M13:セーメケ節(唄:梅木いとし)...........................昭和36年

M14:フジヤマ・ママ(唄:館田久彦).......................昭和37年

私と歌謡曲───大林巨船

M15:テキヤスタイルのお兄さん
(唄:ダニー池田とパラゾールキング)...........................昭和35年

昭和37年/第四回日本アルバム大賞

M16:伊豆でも梅を(唄:足幸夫)

M17:放浪三年生(唄:馬木一夫)...............................昭和38年

     ああ ああ 放浪三年生
     ぼくは草と藁しか食べないが
     暮らす仲間は椅子までも

M18:肉のフラメンコ(唄:西小輝彦).......................昭和41年

昭和38年/映画「大学のバカ大将」から

M19:君といくつまでも(唄:葉山雄三)


【SIDE2】戦後日本歌謡史 昭和39年~55年
昭和39年/オリンピック開会式

M20:ハラをサイタ(唄:ダイク真木).......................昭和41年

昭和42年/日劇前───GSブームに眉をしかめる良識派の声

M21:ブルー・エンペラー
(唄:ジャッキー佐藤とブルー・コメットさん)...........昭和42年

     ビルと人家に囲まれて
     静かに眠る ブルーブルー
     ブルー・エンペラー
     あなたが僕を連れ込んだ
     高くて寂しいブルーブルー
     ブルー・エンペラー
     ブルーブルーブルーブルー
     ブルー・エンペラー

M22:ボロだけに(唄:タイガー・ジャー)...............昭和42年

     Oh!ブリーフ Oh!ブリーフ
     ぼくの下着を 早く替えよぉ
     ボロだけに ボロだけに
     買い替えよう
     
M23:フキさネギさイモさ
(唄:カーナツービート)......昭和42年

昭和45年/万博会場にて───興奮する関係者の声

M24:世界の国からさようなら(唄:三波伸夫).......昭和45年

M25:長嶋は今日もダメだった
(唄:富士山田弘とプールサイド)...................................昭和44年

     あなた1人に 賭けた運
     王の言葉を信じたの
     点を点を求めて
     ヒット、ヒット出てくれりゃ
     打てど切ない内野ゴロ
     うぉぉぉ 長嶋は今日もダメだった

私と歌謡曲───犬山政子

M26:クツヒモ・カミソリ(唄:八代ひろし)...........昭和46年

私と歌謡曲───オスキとヒーコ

M27:昭和オニアザミ(唄:おくらと拓郎)...............昭和49年

昭和46年/日本列島改造論───田中丸栄

M28:田舎の子、都会の子(唄:高ひろみ)...............昭和47年

昭和47年/横田庄一グアムより帰還

M29:USO(唄:ピンカラ・レディ).......................昭和52年

M30:時間よどなれ(唄:矢沢平吉)...........................昭和53年

昭和54年/教育テレビから───矢沢平吉

M31:勝手にダイドコロ
(唄:カザン・オールスターダスターズ).......................昭和53年

昭和54年/オールナイト・ニホンから───タモソ

M32:施設の中で(唄:松林痴春)...............................昭和53年

昭和54年/ドラマ「金玉先生」から

M33:来週デイト(唄:田畑俊彦)...............................昭和55年

昭和55年/武道館で山口友恵ラストコンサートから

M34:モッキン・バード街道




昔のレコードがCDで復刻しているなかで、このレコードだけは無理なようだ。

中古レコード屋にも出回ることは少ないだろう。

 KYLYN LIVE

1979年日本のジャズ・シーンを牽引していた若きミュージシャンたちのライブ。

バンド名はKYLYN

     渡辺 香津美   (g)
     坂本 龍一    (key)
     矢野 顕子    (key,vo)
     小原 礼     (b)
     村上“ポンタ”秀一(ds)
     ペッカー     (per)
     向井 滋春    (tb)
     本多 俊之    (as,ss)
     清水 靖晃    (ts)

いろいろな概念を飛び越えたクロスオーバーな音楽と言うか、まっJAZZに変な概念は必要ないと、

おいさんは思うのだが。


これに触発されたわけではないが、このころよくライブやジャズ・フェスに出かけたものだった。




先日当ブログが 「ヤードバーズ」 なんてカテゴリーで第1位になってしまったのに、

またまた第1位になってしまった。

今度のカテゴリーはな、な、なんと「レコード・プレーヤー」。

れこーど・ぷれーやー?


おいさんは困惑しております。


たいして記事にしたことはないのにどうして1位なんでしょうか。

2位じゃだめなんでしょうか。




メイド・バイ・SONYです。


400枚ばかしのアナログレコードを再生すべく購入したものです。

もうレコード・プレーヤーはパイオニア、ヤマハ、と来て3代目になりますかね。

ほんとはテクニクスのダイレクト・ドライブが欲しかったんだけど、予算の都合でSONYのベルト・ドライブになった。

まぁカートリッジが交換できることと、ピッチ・コントロールがついてるから当時の経済状況を考えると、

ベターな選択だったと思ってます





こんなにレコード・プレーヤーのことを書いたのは初めてです。

こんなことで第1位とは・・・


ネットの世界は摩訶不思議ですなぁ。

5日おきに巡ってくる休みの日。

今夜が唯一、夜更かしが出来るのだ。


さて、何をしようか。

CDでも聴きながら酒でも飲もうか。

ブログもサボってるしなぁ。

雑誌もパラパラと見てそのままになってるし、あれこれ考えると、だんだん面倒になってくる。


そのうち、目が重くなりソファで横になってしまってしまうのだ。


気がつくと、ウイスキーも氷が溶けてしまってるし、CDも止まってる。

スタンドの灯りだけが、まだ深夜だということを教えてくれる。


5日ごとにくりかえされるマイルームの風景だ。


大学生のころ、コルトレーンにハマった時期があった。

この「セルフレスネス」のマイ・フェイヴァリット・シングスを聴いてからだった。





このレコードを皮切りに、コルトレーンのレコードを買い始めた。


まずはマイ・フェイヴァリット・シングスが収録されたものばかり。

初めて録音したというアトランティック盤から、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ、

ライブ・イン・ジャパン、そしてブートレッグ。

一番お気に入りのブートレッグは大阪の梅田で買ったやつだ。


それがきっかけで、「オレ」 「ジャイアントステップス」 「インプレッションズ」・・・・と聴きだした


集めたのは30枚くらいだったが、1日に1度は聴かないと落ち着かない中毒状態がしばらく続いた。


マイ・フェイヴァリット・シングスは好んで多く演奏されたから、録音されたものも多い。

いろんな演奏スタイルを聴くのも楽しい。

いまでもブートレッグを見つけると買ってしまう。


私の好きなコルトレーンだ


もう20年も前のお話。

香港がまだイギリスの統治下にあったころ、輸入の仕事で香港を訪問した。


中国との国境を侵犯しないように、飛行機が急旋回しながら啓徳空港へ着陸していた時代だ。

ビルの屋上の洗濯物を翼で引っ掛けそうなくらいの低空で着陸していく。


商品の視察でHung Homという街を訪れたとき、昼食をとろうと、とある料理屋へ入った。

そのとき熱い視線を感じたのだ。


そう、このジャケットのように。


刺すように、値踏みされているような鋭い視線。


 WE INSIST!/MAX ROACH


一目見て日本人とわかるのだろう。

食堂の客の視線が一点に集まる。


「おい、日本人だ」

「こんなところになんで日本人が来るんだ?」そんな会話をしているのだろうか。


気をとりなおして、昼食を注文するが、漢字ばかりのメニューにここが外国なんだと思い知らされる。

注文は漢字を並べた筆談だ。

「飯」は通じなかった。

「湯」はスープのことだった。

牛を炒めてウンぬんとあるので注文した。

焼肉のようだった。


味わうこともそこそこに店を出た。


MAX ROACHはこのジャケットに人種に対する偏見を訴えた


同じ色の肌をしていても、刺すような視線が飛んでくるのは忌まわしい歴史を引きずっているからだろうか。
!!!???

新品/中古CD販売 通販ショップの駿河屋
マクロミルへ登録


HMVジャパン


おいさんの姉妹サイトはこちら
CBSのJAZZはここ

Sony Music Shop

とっぱくろジャケット・ギャラリー
RSS
ブログ内検索
[PR] 忍者ブログ [PR]
ブログテンプレート