忍者ブログ
JAZZとROCKが 三度のめしより好きな おっさんの戯れ言

ぷろふぃーる
HN:
    おいさん
性別:
男性
職業:
    トラック・ドライバー
趣味:
    飲む・博打つ・聴く
画像の記事へGO!
ミュージシャン・リンク

 ジャズドラマー

小野麻衣子

気に入ったひとはポチッとお願い!

ほかのブログも見てみよう


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村


blogram投票ボタン

こっちもみてね
最珍記事
むかしの記事で出ています
あなたもフリーアンケーター

マクロミルへ登録

何か見つかるかも
最新コメント
[07/20 おいさん]
[04/05 CharlesPa]
[12/01 たろすけ大分]
[05/19 Backlinks]
[04/03 たろすけ大分]
[05/24 たかんぼ]
[09/23 たろすけ]
[09/08 Room Folklore]
[09/01 mina777]
[08/21 たろすけ大分]
うえるかむto忍者アド
カテゴリー
最新トラックバック
ばーこーど
何かお知らせ?
あーかいぶ
あし@
忍者アド
アクセス解析
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


エリック・サティーの名前を聞いたのはこのレコードからだった。

ブラッド・スエット&ティアーズ(以下B・S&T)のセカンド、「血と汗と涙」


 血と汗と涙/ブラッド・スエット・&ティアーズ


アル・クーパーが好きで結成時から聴いていたB・S&T。


1曲目、アコギの伴奏でフルートが今ではすっかり有名になった「ジムノペディ」のメロディを奏でる。


初めて聴いたときは   「何?これ」

「エリック・サティの主題による変奏曲(第1楽章・第2楽章)」って曲名?

「エリック・サティって誰?」

それから40年たつ間にエリック・サティがちょっと変わった曲を作るフランスの作曲家だ、ということぐらいは知った。


B・S&Tのファースト・アルバムから聴いてると、何かやってくれるだろうという妙な期待感はあったのだけれど。

アル・クーパーも脱退し、編曲ぐらいでしか参加してなかった。

でもこのアルバムからは「スピニング・ホイール」「ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー」など

4曲のビッグ・ヒットが出て、彼らの最高に売れたアルバムではなかっただろうか。


アルバムの最後にもエリック・サティは登場する。


こちらは「エリック・サティの主題による・・・・(第1楽章)」となっていて、女性の足音が遠ざかりドアをしめる音で終わる。


エリック・サティが聴いたらニヤッとしそうなエンディングだ。



PR

「開幕を延期するとか、プロ野球をしばらくやめるとか俗説もあったが、戦争に負けた後3カ月で選手、

監督から試合をやりたい、と声があがり、プロ野球を始めた歴史もある」


地震でまだ多数の人が不自由な生活を強いられているというのに、25日からセ・リーグを開幕しよう息巻いてるジーさまがいる。


“なべつね”だ。


戦争直後の話を持ち出してどうすんの?

どこかピントがずれてませんか?

これが一大新聞社のオーナーの発言だからあきれてしまう。


このジーさんが巨人、いやプロ野球の人気を低下させた張本人だ。


選手会は異を唱えてはいるが、巨人の選手の中からはそんな声はあがらない。

巨人のオーナーだもんなぁ。そんな楯をつけられるわけがない。


「たかが、選手が」なんていわれちゃうぞ。


このジーさん、「たかが、地震じゃねぇか」なんて思ってんじゃねえだろうな。

3月6日に会社を辞めてから、離職票を送ってくるのを毎日待っていたのだが、早くも10日がたってしまった。

ハローワークに行くこともままならず、地震のニュースにかじりついていた。


悲惨、としか言いようがない。


かといって何ができるだろうか。

会社を辞めてしまったプータローのおいさんは無力だ。

せいぜい屁のつっぱりにもならない、いくばくかのお金を寄付するくらいだ。


東北、特に今回被災した地域は全然知り合いがいない。


あっ、いつもブログを見ている尾崎真也くんが仙台にいたな。

脳性マヒの彼はヘルパーの介護を必要とする。

そんな体だから、こりゃぁひょっとすると・・・想像してはいけない思いがよぎってしまう。


毎日ブログをのぞいてみるが3月9日を最後に更新されていない!

地震が11日だったからアパートがつぶれたか、津波にさらわれちゃったか。


すると17日に彼のコメントを発見!


生きてたか!よかった、よかった。

“無事”の2文字に一安心。


でもこれからが大変だろう。


こういうときにかける言葉を知らない。

なんと言っていいのかわからない。

言葉よりパンじゃないかと思うのだ。


だから・・・ただ元気でブログの再開願ってます。


日曜日の勤務を最後に会社を辞めた。

先週から通告をしていたので、とくに感慨もない。


いきなりの給料ダウンとその場しのぎの配車ではもうやる気が失せてしまう。

「売り上げが落ちた」「赤字だ」・・・というなかで労務費を一番のコストと考え、削っていくのはどうかと思うのだが。

効率のよい配車を、と提案しても話だけで終わり。


まぁ、いろいろ言ってもムダのようだから先のことを考えよう。


ということで、ちゃんがらドライバーは引退。

次はどうしようか・・・・


しばらくほったらかしだった部屋を片付けようか。


ファミリー・ゲレンデを2時間ほど滑っていると足もだんだん疲れてきます。

ちょっと休憩でもしようかな、と思ったそのとき外側のエッジにひっかかって転倒してしまいました。

しかも足がこむらがえりをおこしてます。

ゲッ!こんなところで。

ストックを使ってなんとか立ち上がったものの、こむらがえりはおさまりません。


もう若くないんだと思い知らされました。

5分くらい、がまんしていると、痛みもおさまってきたのでゆっくり降りて休憩です。


手袋もぬれてきたのでストーブの上で乾かします。

紅茶を飲みながら30分ほど休んでいると、手袋も乾いてきたので、再スタート。

こむらがえりの心配がありましたが、ナイター終了までまだ3時間もあります。

せっかく来たんだもんなぁ。

まだ上まで行ってないし。

外に出ると照明がついてナイターらしくなってます。


リフトを降りたらガスってました。





もう1本リフトを上がってチャレンジ・ゲレンデに行きます。


リフト乗り場はおだやかなのに、コースの頂上は猛烈な風が吹いてます。

このコースを滑ってる客はほとんどいません。

コブ斜面にところどころブッシュが見えてます。

しかも雪はシャーベット状態だし、あとはアイスバーンの連続。


前傾!前傾!ひざを入れて!・・自分に言い聞かせながら滑ります。





リフト乗り場の手前100Mくらいはガチガチのアイスバーン。

ひざにガンガンきます。

それでもひさびさのスキーなのでガマンガマン。


気がつくと誰も滑ってません。

完全な貸切状態。


やっぱ、スキーはいいわぁ。


リフトは9時50分まで動いているので、時計をみると9時45分。


よっしゃ、これでラストにするべぇ。

かっこよくラストを決めるかぁ、なんて滑り出したとたん気が緩んでいたのか、ミスって大転倒。

アイスバーンで転ぶと痛いわぁ。誰も見てなかったからいいけど。

しばらく立てませんでした。

しかも立ち上がるのに一苦労。


昔はこんなんじゃなかったのに、歳をとったなぁ、と思いつつストックで支えながら立ち上がる。


なんかお尻のあたりが湿っぽい。

一目散に滑り降りて、帰り支度です。


車の中で着替えましたが、スキーパンツもジャンパーもびっしょり。


帰り道、運転中に肩がちょっと痛い。

さっき転んだときの打撲でしょうか。


もう若くない、若くない・・・思い知らされたスキーでした。


仕事が終わる頃、会社のIくんが「明日の休み、明後日に代えてくれませんか?」とのたまう。

2度も3度も変更されていたので   「ダメ!」

「じゃぁ、明日半日でいいからもやしのひっぱりをお願いしたい・・・」

アホか、こいつは。

会社の賃金体系をまったく理解していないな。

給料4万円も下がったうえに、半日勤務だって。

ただ働きもいいとこじゃん。

「ダーメ!」

「痛いなぁ」


痛いの、痛いの、飛んでけぇ、てなもんで矢理飛ばして、スキー行き決行です。



2時に出発して、1時間で水分峠を通過。

前回と違い道路に雪はなく、いっきにスキー場をめざします。


湯坪温泉の入り口ぐらいからポタポタとみぞれぽい雨が・・・。


スキー場についたときは、かなりの雨でした。





時間は3時半。

ここまできたら、カッパ着てでもやんなきゃしょうがない。


4000円でICチップのついてるナイター・チケットを購入(チケット返却時に1000円戻るシステムです)


さぁ、やるぞ!と、準備してゲレンデへ。


チケットををリフト乗り場のセンサーに近づけるとゲートが開きます。



なにせ、20年ぶりなので手前のファミリー・ゲレンデで足慣らし。








いざスタート!



うーん、やっぱり腰が引けてひざも入っていないから後傾になっている。

だから板の前部が浮いてしまい、クロスしてしまいます。

20年のブランクは大きいな。





雪はシャーベット・スノー。

もう2月のおわりだからしゃーないな。


何度かカンを取り戻すべく滑っていると雨もやんでしまいました。

(つづく)

1年半ほど続いていた禁煙だったが、深夜ついにコンビニでタバコを買ってしまった。


眠気覚ましと、イライラがつのった上での結果だ。

いろんなタバコが並んでいる。


ハイブリット車なんて縁がなさそうだから、せめてタバコぐらいハイブリットでいこう、と思って買ったのがこれ。

ライターがついていたことも幸い(?)した。





一本くわえてみると、かすかにメンソールの味がする。

ひさびさのタバコは美味しかったけど、運転中何本も吸っていたら気持ち悪くなってしまった。


イライラの原因?


それはわが社の給料!!!!!

時間外手当が50時間ちかくもカットされていた!

昨年の9月分から時間外手当がつくようになったのだが、当初よりまともにくれたためしがない!

10時間、20時間のカットはあたりまえで、毎月給料明細書をみるまでいくらもらえるのか見当がつかない。

これって労基法で許されることなんだろうか。

じっとガマンもここまでかな。


おまけに花粉症の発作がでてきやがった!チクショー
人種の白黒をはっきりさせられるアメリカの社会で、白人でありながらブルースを愛する男。


ジョニー・ウィンター。


スティービー・レイ・ヴォーンがこの世を去ってしまったこともあり、白人ブルースではこの人の元気さに期待するしかない。

まぁおいさんは黒か白かはどっちでもいいことなんだけど。


そのジョニーが初めて日本で演奏するらしい。

4月にZEPP TOKYOでライブとのこと。

もちろん今の状況では見に行けるわけもない。(チケットもないだろうが・・・)

ラッキーにも見に行ける方は十分このブルースおやじ(いやもう66歳だぜ)のギターを堪能してきてほしい。



1981年のシカゴ・ブルース・フェスでのマディー・ウォーターズのステージで、ジョニーを見てから(もちビデオだよ)

もう30年か。

じゃぁCDでも聴いて我慢するとしようか。


 ライヴ/ジョニー・ウィンター・アンド


ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」、「火の玉ロック」、「ジョニー・B・グッド」などの

ロックン・ロールもいいけど、圧巻なのは「イッツ・マイ・オウン・フォールト」。


12分近いブルース・ナンバーだ。

マディーの前では借りてきた猫のようだったが、ここでは思う存分弾きまくるという表現があう。


ジョニー・ウィンターのグッドなアルバムの一つだ。

なにげなくリサイクルショップを見ていたとき、レコードがおいてあったので何気にみていたら、こんなレコードがあったので即買い!


それはキャロルの「グッバイ・キャロル」

ちなみに100円でした。



キャロルがデビューしたときおいさんはまだ20代だった。

当時はまだ矢沢永吉を過小評価していたな。

このディスクはA面がすばらしい。

すべて英語で押し捲ってくる。


 おいさんの好きなキャロルの写真



時代はスリー・ディグリーズに代表されたディスコ・ブーム。

キャロルもいつの間にか解散して、矢沢もソロ・シンガーを目指した時期だった。


あらためて針を落とすと、そこには世界に羽ばたこうとしたキャロルの世界が広がる。

ストレートなロックン・ロールはいまでもおいさんを魅了する。



今の時代の腑抜けな音楽を聞いている奴らに聞かしたいロックだ。

矢沢も今ではすっかりおいさんの仲間入り。

このディスクではギラギラした矢沢が聴けて、知らないうちにリズムを取っていた自分がいた。


大分の九重というところにスキー場があります。

いつか行こうと思っていましたが、休日もその日の夜勤に備えるので遠出ができませんでした。

ところが2月13日が休日になり、その前日の12日(土曜日)の勤務終了後、すっ飛ばしていけばナイターができる!

夜は泊まっても13日の午後に帰ってくればいいし、これはチャーンス!

てなわけで、これは行くっきゃない!

1時過ぎに帰宅して、飯食って準備をしていたらそれでも3時の出発になってしまいました。


湯布院あたりで雪が降り出しました。

湯布院の先の水分峠(みずわけとうげ)までくると、かなりの積雪。


 水分峠を登ったところ  先はまだ長い


峠の頂上でチェーン装着

オークションで仕入れたやつです。


ちょっと長いかなぁとは思ったけど、なんとかなるだろうとタカをくくったのが甘かった。


 どうみてもゆるいよなぁ


やっぱりゆるいのです。

余分にゴムバンドは持ってましたが、フックがない!

チェーンを短めに結束していましたが、結束が途中できれてしまい、ゆるい分カタカタとボディにあたります。

なんとかだましながら走りましたが、筋湯温泉入り口の坂道が登らなくなりました。

時間も5時をまわっていて、これじゃいつ着けるのかわかりません。


ついに今回のスキーを断念!


帰ることにしましたが、どこを通って帰ろうか?

水分峠に戻るにはまた坂道があります。

どうもこのチェーンじゃ心もとないし・・・そうだ、下り坂の続く男池(おいけ)をぬけて帰ろう。

道幅は狭いのですが、対向車はありません。

だれもこんな狭い雪道は通らないのです。


しかしこの選択も間違いでした。


ちょっと登り坂があったのでスピードをあげて乗り切ろうとしたのです。

その先は急カーブ。

ギアをローに落としきれなくて右へふくらみ、そのままガードレールと接触。

ガードレールのおかげで谷底に落ちずに済みましたが、右側のヘッドランプを破損しました。


阿蘇野(おふくろの故郷)まで下ってくると路面が見えてきたのでチェーンをはずしましたが、ところどころまだ雪が残ってます。

シフトダウンとノンブレーキで庄内までたどりつき、やっとの思いで帰宅。



やはり十分な準備を怠ったバツでしょうか。

月末の休日に再チャレンジしようと思ってます。

もちろん今度は準備万端で。
!!!???

新品/中古CD販売 通販ショップの駿河屋
マクロミルへ登録


HMVジャパン


おいさんの姉妹サイトはこちら
CBSのJAZZはここ

Sony Music Shop

とっぱくろジャケット・ギャラリー
RSS
ブログ内検索
[PR] 忍者ブログ [PR]
ブログテンプレート